妻の祖母が亡くなった。介護職を休職している私が思うこと。
昨夜の21時頃、自宅の電話が鳴り響いた。「母が死にそうだ」と義母の妹さんからの連絡だった。
我が家にはまだ幼い息子がいるため、私は自宅で子供を寝かしつけることになった。妻と義母は慌てて入院先の病院へ向かった。
亡くなったのは次の日の朝だった。死因は老衰とのこと。眠るように亡くなったらしい。
95歳を迎えても、自分のことは自分でやるとてもパワフルな人でした。白いロングヘアーをなびかせて、家族や身内のために人生を駆け抜けていった、そんな人だったと思います。
介護職に就いて初めて担当したOさんの姿を思い出した
介護職に就いてから幾つもの死に携わってきた。死後の処置も看護師と共にやった経験がある。
人が亡くなるのは悲しいこと。それは頭では分かってはいるが、介護職は死が身近にある仕事だ。幾度となく訪れる死に向きあっていかなければならない。
1人の死を無駄にしないように、介助の仕方や緊急時の対応、心肺蘇生の方法を再度見直し、今後の改善に繋げる。
利用者様が亡くなると「もっとこうしてあげれば良かった、こんなことができた」といつも思っていた。
初めての担当利用者だったOさんは、私が夜勤の時に亡くなった。当時、まだ新人職員だった私は何もすることができず、あまりに無力で情けなく、只々悲しかったのを覚えている。
誰にでも必ず死は訪れるということ
仕事で沢山の利用者を看取ってきたが、やはり身近な人の死はとてつもなく寂しい。どこかぽっかりと心に穴が空いてしまったかのような虚しさだ。
仕事をしていた時は、利用者の死に対して、心のどこかで他人だからという思いがあったのではないかと思う。
悲しいという気持ちは同じだが、重みが全く違う。これが家族だったら立ち直れるのだろうか。
いつ死が訪れるか誰にも分からない。だからこそ、生きている今この時を大切にしなければならないなと実感しました。